同志社大学・大阪府立大学・京都府立大学☆合格☆村山由佳さん



「どうすれば合格できたのか?」という振り返りや、失敗・成功を超えた学びや気付きを素直にお伝えすることはできます。気軽に読んでください!(*^◯^*)

1、ミスターステップアップを選んだきっかけ

小学生のときから医者になることが夢で、周りの大人もみんな応援してくれました。

医学部を目指すなら進学校に行こうということで、中学受験に挑戦したところ、第2志望に合格しました。
第1志望に落ちた理由は、ゲームと漫画が手放せなかったからです(笑)。受験勉強を通じて自分が成長できる機会があるのに娯楽へ逃げてしまうのはもったいないことでした。

中3の時に、中高一貫校のための大学受験塾に入りました。授業についていくのに必死で、友達も1人しかいませんでした。
その友達はすごい子でした。私が行きたかった第1志望の中学でトップの成績で、塾でもトップで、運動もできて、可愛くて、謙虚で、みんなに好かれているけど群れないという完璧具合でした。私はその子みたいになりたくて、彼女の志望校と同じ旧帝大の医学部を目指すと決めました。

しかし中3の時はその子と大差はない成績だったのに、高1からだんだん成績が下がりました。
スマホや漫画もやめて、部活と勉強に専念しているのに塾のクラスはどんどん落ちていき、友達との差は広がる一方でした。疑問、焦り、不安を抱えて高3になりました。

うだつが上がらない私に父親が見せてくれたのが、与那嶺さんと弓場さんの対談動画です。次第に内容に惹かれていきました。
動画のテーマは数学の勉強法でした。私は昔から数学が苦手で、どうやって勉強すればいいもかさっぱり分かっていませんでした。
しかし弓場さんは動画で「自分は数学が苦手だったけど、白チャートと実力アップという二つの問題集で勉強して、京大数学を4完2半した」と言っていて、それが自分には衝撃的でした。
ところが続けて「4〜6月で白チャートを30周くらいした」と言ったときに、私は幻滅しました。私は絶対30周とか無理だし、この人が特別なんだ…と思っていました。
そのあとミスターステップアップや書籍の存在を知り、3ヶ月で30回反復を可能にするセルフレクチャーやその他諸々の勉強法に驚かされ続けました。

夏休みから学校や塾の教材から大逆転勉強法で紹介されている教材に変えて勉強しました。秋頃から成績は上がり始めましたが、当初の志望校は厳しいなと思って、学校の指定校推薦で行ける公立の医学部に行こうとしました。
10月から11月の1ヶ月でセンターが120点アップです。あと50点あげれば推薦を出せるので一生懸命勉強しました。

しかしセンター直前になって、「私は本当に医者になりたいのか?」と思うようになりました。純粋に医者になりたかったはずなのに、いつの間にか友達に勝つために医学部を目指すようになっていました。勉強そのものにも迷いが生まれ、結局センター本番は74%で医学部は断念しました。
学校が自由登校になり、家でこもって勉強していると、
「やっぱり医者になりたかったかもしれない」
「あの子に勝ちたかった」
「私って馬鹿だな」
「何やってたんだろ」
というしょうもない思いが頭の中をぐるぐる回り、自分を責め、心身ともに調子が悪くなりました。そもそもの学力も、足りなかったです。
結局国公立は不合格でした。私はメンタルの弱い、頭が悪い自分を変えたくて、ミスターステップアップに入塾しました。


2、ミスターステップアップに入って嬉しかったこと、良かったこと

まずはおいしいご飯を毎日食べさせてもらえたことです。
現役のときは週4日外食で、夜も遅く、イライラしながら食べていたのでストレスがたまってました。
「ゆにわ」のご飯を食べたとき、最初はただ「おいしいな」と思うだけでしたが、ゆにわのスタッフさんから話を聞いて何度も食べるうちに、料理からあたたかさや優しさを感じられるようになりました。
食べるだけで幸せになれるご飯をいただいたおかげで、受験勉強に打ち込むことができました。

先生と話した時間も学びにあふれていました。
柏村先生は、最初は怖くて近寄りがたいイメージがありましたが、実際は優しく、いつも冷静に的確な指示をくれました。
私は9月に、勉強しているはずなのに全ての教科の進みが悪くなりました。原因が分からなくて、どう相談したらいいかも分かりませんでした。
そのとき柏村先生に呼び出され、「勉強進んでないのがバレて怒られるのかな」と緊張して行くと、柏村先生は私の不調を全て見抜いていて、勉強に対する姿勢から何までどうあれば良いかを教えてくれました。
自分の悩みがちっぽけに思えて、感覚が変わった瞬間でした。

村田先生には一番相談に乗ってもらいました。ここには書けない悩みも自然と打ち明けられました。
去年センターで失敗したので、センター直前は不安で仕方なく、合格手帳を毎日見てもらって、さらに村田先生がご飯に行くときはついて行って一緒に食べてもらいました。そのときに話してもらうことも全て自分のためになることばかりで、センターに対する恐れは薄れていき、センター1週間前まで80%しか取れなかった私が、本番だけ86%を取ることができました。

弓場さんに対して1年間抱いていた思いは、主に「怖い」「私もこんな女の人になりたい」「もっと距離を縮めたい、感覚をうつしたい」という3つでした。弓場さんが塾生にズバズバ指摘している姿を見て、今まで極力怒られまいとして生きてきた私は完全にビビってました(笑)。
そして弓場さんと目を合わせると、情けない自分が全部見透かされている気がして怖かったのです。しかし先生にアタックしないわけにもいきません。自分が行き詰まって、「特に弓場さんには言いづらい!!」と思ったときこそ、弓場さんに相談しに行きました。どんなときでも弓場さんは私のことを受け入れてくれました。
私の手帳の書き方が汚いことや反復のレベルが低すぎることを、9月に割と厳しく言われたのですが、「悔しい、もっと成長したい!!!」という意欲に変わりました。弓場さんと柏村先生の両方から踏みこんだ指摘を受けた9月は、私にとってのターニングポイントでした。

武田先生(やっし)からは科学に関するたくさんの知性あふれる話をしてもらいました。やっしは空気が穏やかなゆるキャラで、私が勉強に励んでいるときに、黙って見守ってくれました。

与那嶺さん(よなさん)は、現役のときに動画を見まくっていたので、最初に話しかけるときに一番緊張しました。でもいつも親切に話を聞いてくれました。私は何でも深刻に捉えがちだったので、客観視してくれるよなさんと話すことで、冷静さを取り戻すことができました。


3、勉強面での変化について

私は理系であるにも関わらず、得意教科は文系科目で、苦手教科は理系科目でした。勉強そのものが嫌いではありませんが、いくらやっても成績が上がらなかったのです。

英語はもともとセンターで9割取れていましたが、頭打ちしていました。入塾して、音読・単語・熟語・暗唱例文・文法・構文・和訳という基礎をやりまくってさらに高めようとしました。過去問の和訳と英作文は必ず柏村先生に見てもらって、「柏村先生ならどう解くか?」「基準は何か?」という感覚をもらいました。

国語は現役のときにセンターが122点で失敗したので気が抜けなかったです。
現代文は12月末まで「田村の優しく語る現代文」が終わっていなくてピンチでした。センターを解いても、120分かけて90〜100点というのが2、3回続きました。しかし「『田村』を終わらせるぞ!」よりも「田村さんの感覚をうつすぞ!」ということに重きをおいて、柏村先生にも自分のセルフレクチャーを聞いてもらいました。
古文漢文は基本の単語・文法・句形が終わったらひたすら問題文を音読しました。「この文を現代語訳すると?」など自分で問題を課して、マンネリな音読にならないようにしました。こうして基礎を固めたことで生まれた安心感によって、センターで183点を取ることができました。

地理は時間がありませんでしたが、ただ「山岡の地理」を単語だけでなくその単語の意味まで覚えて、その知識を過去問とつなぎ合わせました。

数学はまず白チャートを猛反復。私は「解法の要点だけ抑えてあとは削ぎ落とす」という作業が最後まで苦手でしたが、大逆転勉強法に書いてあるようにマーカーで問と解答を繋ぎ合わせたり、どうすればもっと短い時間で解法が思い浮かんだかをなるべく言語化して書きこんだり、一問ずつストップウォッチで計ったり、分からない問を1枚の紙にまとめたり、とにかく必死にやっていました。
正直に言って実力アップは全ての問題を解けるようにはなれませんでしたが、頻出分野は白チャと同じく死ぬ気でやりました。また数学は自分1人では100%上達しないと分かっていたので、自分より数学ができる人に「どういう視点で解いているのか」を聞いてまわりました。大学生のスタッフである憩さんには何度もセンター数学を解く感覚を教えてもらい、本番2日前に聞いた考え方が本番でそのまま使えて高得点に繋がりました。

物理・化学も数学と同様にバイブル本を反復して、本番で公式を忘れたときに備えて公式の導出もできるようにしました(これは深追いは禁物です)。
京大の二次の問を大学生の阿部さんに目の前で解いてもらって、阿部さんになりきって反復することもありました。このおかげで感覚はかなり上がりました。


4、心理面での変化について
まず家族と離れても生きていける強さを身につけることができました。
私は親への依存が激しく、現役のときは家族に褒めてほしくて勉強したりしていました。
入塾してから3日間は親の反対を押し切って来たはずなのに、帰りたくて仕方なかったです。実際に黙って実家に帰ったこともありました(笑)。でも先生は私を頭ごなしに叱ることもなく、見放すこともなく、「もっと塾を頼っていいんだよ」「大人になる必要があるかもしれないね」と言葉をかけてくれました。

また「変わりたい」と思えるようになりました。入塾する前も自分を変えたいと思っていましたが、誰かのために常に熱く「変わりたい!」と願うようになったのです。高校までの友達関係も不満ではありませんでしたが、先生やスタッフの方々と話すうちに、
「もっと心が通う人間関係を築きたい」「目の前の人を大切にしたい」「世のため人のために生きたい」と、いつしか燃える自分になっていました。だから失敗する度に先生へできる自分を見せて、前に進むことができました。
毎回とても勇気がいりましたが、自分のこの行動が誰かのためになると本気で思ってました。


5、入塾する人へ

「私はどうすれば京大に合格できたのかな?」と、合格発表を見てからずっと考えていました。
センターの得点は足りたものの、そもそも学力的に京大は厳しかったです。でも最後までやり抜いたので、落ちた理由が単純に知りたかったのです。
「もっと始めの時期から勉強に打ち込めたかな、効率よく勉強できなかったかな」とあれこれ原因を思い浮かべて、村田先生に落ちた原因を聞きに行きました。
村田先生は私が考えた表面的な敗因の奥にある、根本的なものをつきとめてくれました。

実は私は、10年以上も昔に起こったある出来事を引きずって生きてきました。その出来事があってから弱い自分や誰かのために行動できない自分が許せなくて、罪悪感に突き動かされて勉強していたのです。
また他者の目が気になり、自分の本音と向き合わずに押し殺して他人に合わせていました。私が「人のために貢献しよう」と思ってしてきた行動は、結局は自分のためだったのです。

私は村田先生と話している最中に号泣しました。
誰にも言ったことがない過去への思いを打ち明けられたことが嬉しくて、一方で間違った考えでずっと勉強してきたことが悔しくて、いろんな思いが混じりあって泣いていました。
その後村田先生は一緒にご飯を食べてくれて、ずっと隣にいてくれました。
そのとき私は今までにないほどあたたかくて、清々しくて、晴れやかで、満たされた気持ちになりました。きっとそれは、最後まで諦めずにもがいて、それでも力が及ばなくて、そんな私を受け入れてくれるおいしいご飯と本当に信頼できる先生がいたからだ、と今となっては思います。

仮に私が本番より前に過去のことや本音を言えたなら受かったのか、それでも落ちたのかは分かりません。
でももしあなたが入塾するのなら、どんな思いも先生やスタッフの方にぶつけてみてください。例えば「勉強したくない」という気持ちも、実はあなたが思っているよりもっと深いところに原因があるのかもしれません。
もちろん思いをぶつけた結果、厳しい言葉が帰ってくるかもしれませんが、それはあなたが嫌いだから言うのではなく、あなたの人生が良くなるようにと心の底から言ってくれているのです。きついことを言われて立ち直れなくても、立ち直るまでみんなが励ましてくれます。絶対に見捨てられたりしません。

また受験勉強を通して壁にぶち当たり、他人や自分を責めたくなることもあると思いますが、そういうときこそ当たり散らさず、自分を許してあげてください。周りにもダメな自分を受け入れてもらってください。

1年間必死で勉強して、自分と向き合い続ければ、まだ見ぬ素晴らしい自分に必ず出会えます。
あなたの受験生活を、応援しています!!


最後になりましたが、柏村先生、村田先生、弓場さん、やっし、よなさん、大学生のみなさん、事務のスタッフさん、ゆにわそしてグレイトティーチャーのスタッフさん、1年間本当にお世話になりました。みなさんのお陰で密度の濃い、幸せな受験生活を送ることができました。
心より感謝致します。ありがとうございました。